八百万のもの

武田ソフトさん
Rails勉強会で1回だけお会いして、後でBlog拝見して、すごいなぁこの人はって思っている。私益と公益の一致*1、そしてそれに向けた一貫したアクションと発言。そんなによくは知らないはずなのだが、なんだかすごいのだけは納得していて、トラックバックなんてとてもとても…と思っていた。
でも、である。今日読ませていただいた「http://blog.takeda-soft.jp/blog/show/209」はピンときた。スコープがまるで違うのは承知の上で、トラックバックさせてください。

道具

私に取って、言語もフレームワークも大好きだけど道具だ。私が新しいのをやってるとき、いつもこう考えている。いつか冷めるのは分かっている、また乗り換えるに違いない。でも、今はこれがイイから時間を割く。そのたび、自分の中には作った人の何かが残っていく。そして乗り換えるたび、脳の縛りを切り替えることができる。

八百万

武田ソフトさんが言われる、「八百万の神」は本当にそう思う。ひとつしかないものは、本能的にアブナイと感じるから。ひとつしかないことは、許容できない隘路だと思うから。
私も大きな声でありがとうと言いたい。OS・言語・フレームワーク・ポリシー・実装・人たちが八百万なことに。
好きなフレームワークや言語はあるが、なんでもそれでやろうとは思えない。私もプロの端くれだから、お客にヨイ>自分にヨイの順に考える。「芸人に 下手も上手いもなかりけり 行く先々の 水にあわねば」これは、お客を持つものにとっては至言だ。だからこそ、たくさんの芸風が必要なのだ。
別のプロジェクトなのに、複数言語を切り替えるのを嫌うのは芸人としては甘えだろう。少なくとも社内SEにとっては、ある程度組織がバッファになってくれるのだから、やりもせんで管理が大変だの学習コスト云々は恥ずかしい。私らはタレントを買ってもらってご飯食べてるんだよ。自営組のみなさんのことを考えてみよ。

熱狂できないもどかしさ

大人的な態度とは裏腹に、どうしても熱狂的なコミットができないのは、自分自身とてもさみしいと思うこともある。どこか引いてるからかもしれない。どこか自己防衛のにおいがするのもヤダ。
宗教もそう、私は精神的にはキリスト教に傾倒している。だけど、どうしても信仰と言えるほどのものは持てないのだ。
これはもどかしくもあり、忸怩たる思いもある一方で、なんだか救いでもあるのだ*2


ともあれ私は、少なりと言えども、みんなに還元をしたいと思うようになりました。

*1:「ローマ人」の中で一番スゴイと思ったのがこれ。

*2:D先生、ごめんなさい